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京都市下京区/富士鍼灸整骨院(ふじしんきゅうせいこついん)

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2008年 ノーベル賞関連(18)

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2008/10/16 南部さんは「米国の受賞者」文科省が公式文書での扱い決定 YOMIURI ONLINEより転載

南部さんは「米国の受賞者」文科省が公式文書での扱い決定
 
 
 
(2008年10月15日21時39分  読売新聞)

 文部科学省は15日、今年のノーベル物理学賞の受賞が決まった米国籍の南部陽一郎・米シカゴ大名誉教授(87)を、科学技術白書などの公式文書では、米国の受賞者として集計することを決めた。
 これによって、日本国籍のノーベル賞受賞者数を15人とした。
 同省は、これまで同白書などで、ノーベル賞受賞者の国別、分野別受賞者数を集計しているが、受賞時の国籍をもとにカウントしており、米国籍の南部さんの場合もこの基準に従った。
 ただ、同省では「南部さんは、日本生まれで日本でも多くの研究業績を上げた。受賞理由の研究は、日本国籍時代のものであり、ほかの日本人受賞者と扱いは変わらない」と話している。
 南部さんは、1950年代に渡米し、70年に米国籍を取得した。
 

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2008/10/13 ノーベル経済学賞にクルーグマン氏 他 @nifty.comより転載

ノーベル経済学賞にクルーグマン氏
 
 
 
2008年10月13日(月)20時58分配信 共同通信
 
【ストックホルム13日共同】
 
 スウェーデンの王立科学アカデミーは13日、08年のノーベル経済学賞を米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授に授与すると発表した。クルーグマン氏は、従来の貿易理論を刷新した功績が認められた。米国の経済学者の受賞は9年連続。クルーグマン氏は、エール大卒。マサチューセッツ工科大で博士号を取得。00年からプリンストン大教授。
 
 
 
 
 
ノーベル経済学賞は国際貿易論・クルーグマン教授
 
 
 
2008年10月13日(月)20時36分配信 読売新聞
 
【ロンドン=是枝智】
 
 スウェーデン王立科学アカデミーは13日、2008年のノーベル経済学賞を、著名な経済学者である米プリンストン大学のポール・クルーグマン教授(55)に授与すると発表した。
 賞金1000万スウェーデン・クローナ(約1億4000万円)が贈られる。
 クルーグマン氏は国際貿易論が専門。
 
 
 
 
 
<ノーベル経済学賞>米のクルーグマン氏 新貿易理論の基礎
 
 
 
2008年10月13日(月)22時31分配信 毎日新聞
 
【ロンドン藤好陽太郎】
 
 スウェーデン王立科学アカデミーは13日、08年のノーベル経済学賞を米国人でプリンストン大学のポール・クルーグマン教授(55)に授与すると発表した。規模が大きいほど生産性が高まる「収穫逓増」や「消費者の多様性への嗜好」などの概念を経済モデルに導入し、自由貿易とグローバル化の経済への影響を解き明かした「新貿易理論」「新経済地理学」の発展の基礎を作った。
 クルーグマン氏はエール大卒、マサチューセッツ工科大で博士号を取得した。00年からプリンストン大教授。82年から83年までレーガン政権の経済諮問委員を務めたほか、ブッシュ政権批判の急先鋒(せんぽう)としても知られる。著書には「恐慌の罠−なぜ政策を間違えつづけるのか」「グローバル経済を動かす愚かな人々」などがある。
 賞金は1000万クローナ(約1億4000万円)。授賞式は12月10日にストックホルムで行われる。

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2008/10/9 下村氏にノーベル化学賞 クラゲの蛍光タンパク発見 生命科学に不可欠な道具 がん細胞追跡も可能に 日本人、連日の快挙 (1) 他 m3.comより転載

下村氏にノーベル化学賞 クラゲの蛍光タンパク発見 生命科学に不可欠な道具 がん細胞追跡も可能に 日本人、連日の快挙 (1)
 
 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月9日】

【ストックホルム8日共同】

 スウェーデンの王立科学アカデミーは8日、2008年のノーベル化学賞を、飛躍的に発展する生命科学の研究に不可欠な"道具"となっている緑色蛍光タンパク質(GFP)の発見者で、米マサチューセッツ州在住の下村脩(しもむら・おさむ)・米ボストン大名誉教授(80)ら3人に授与すると発表した。
 がん細胞がどのように広がるかなど、これまで見ることができなかった現象をGFPを使って追跡する手法を開発したことが評価された。
 日本人のノーベル賞受賞は、7日に物理学賞受賞が決まった南部陽一郎(なんぶ・よういちろう)・米シカゴ大名誉教授、小林誠(こばやし・まこと)・高エネルギー加速器研究機構名誉教授、益川敏英(ますかわ・としひで)・京都大名誉教授の3人に続く連日の快挙で、受賞者は計16人となる。化学賞は02年の田中耕一(たなか・こういち)・島津製作所フェロー以来で5人目。
 下村氏は米国の自宅で共同通信の電話取材に「本当にびっくりした。大変名誉なことだ」と喜びを語った。
 受賞決定者の残る2人は米国人で、マーティン・チャルフィー・コロンビア大教授(61)とロジャー・チェン・カリフォルニア大教授(56)。
 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれる。賞金は1000万クローナ(約1億4000万円)で、下村氏ら3人で等分する。
 授賞理由は「GFPの発見と開発」。GFPは紫外光を当てると、その光を吸収して緑色に輝きだすタンパク質。
 下村氏は渡米中の1961年にオワンクラゲからGFPを発見、翌年、論文発表した。チャルフィー氏はGFPを使ってほかの生物の細胞を生きたまま光らせることに成功。チェン氏は、タンパク質や細胞を緑色以外に着色できるようにし、GFPの発光メカニズムの理解に貢献した。
 GFPを作り出す遺伝子を調べたい細胞のDNAに組み込むと、細胞内で光を放つタンパク質が作られる。この光を「標識」にすれば、細胞を生かしたままタンパク質や細胞の働きを観察できる。がん細胞の増殖や神経細胞の発達過程も、光を追跡することで手に取るように分かる。
 この手法は現在、生物学や医学、創薬などの幅広い分野で利用されている。

▽ノーベル化学賞

 ノーベル化学賞 化学分野の最高の栄誉。アルフレド・ノーベルの遺言によると「前年に人類に最も貢献し」「最も重要な化学の発見・進歩を成し遂げた人」に贈られるが、実際には授賞対象は過去の業績の場合もある。日本からは福井謙一(ふくい・けんいち)博士(1981年、故人)、白川英樹(しらかわ・ひでき)筑波大名誉教授(2000年)、野依良治(のより・りょうじ)理化学研究所理事長(01年)、田中耕一(たなか・こういち)島津製作所フェロー(02年)が受賞した。

▽オワンクラゲ

 オワンクラゲ 直径約10センチのおわんのような半球形で、太平洋北東域に多かったが、その後姿を消した。大部分のクラゲは光らないが、オワンクラゲは透明な「かさ」の外縁に沿って微細な発光器という器官が約200個並び、光ると円形に見える。普段は発光せず、刺激を受けると緑色に光るが、何のためかは不明。毒はなく無害。発光器の細胞には、カルシウムの刺激で青く光るイクオリンという発光タンパク質と、緑色蛍光タンパク質(GFP)が共に存在しており、イクオリンが光ろうとすると、そのエネルギーをGFPが奪って緑色を放つ。

 ×  ×  ×

※下村脩氏の略歴 

 下村脩氏(しもむら・おさむ)1928年8月27日、京都府福知山市生まれ。陸軍将校の父に従い、幼少期を満州、大阪などで過ごし長崎県諫早市へ。16歳で長崎に投下された原爆を体験した。51年長崎医大薬学専門部(現長崎大薬学部)卒。名古屋大の故・平田義正(ひらた・よしまさ)名誉教授の研究室で博士号を取得し、60年にフルブライト留学生として米プリンストン大へ。61年夏、ワシントン大フライデーハーバー研究所に滞在中に緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見。63年名古屋大助教授。その後プリンストン大に戻り、82年から2001年までウッズホール海洋生物学研究所上席研究員。ボストン大名誉教授。退職後は自宅で研究を続けている。米マサチューセッツ州在住。80歳。




輝くタンパク"標識"に 生体内の動き観察に威力 (2)
 
 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月9日】

【解説】

 オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)は、紫外光を当てれば光を発する。これを別のタンパク質などに"標識"として組み込めば、その物質が生体内でどのように動くかを見ることができる。
 アルツハイマー病で神経細胞が壊れていく様子や、成長する胚(はい)の膵臓(すいぞう)でのインスリン分泌細胞の形成、脳の神経細胞の発達過程など、さまざまな生命現象の観察。下村脩(しもむら・おさむ)氏がオワンクラゲから抽出した輝く物質が、現在の生命科学の発展に果たした役割は極めて大きい。
 また、ヒ素に触れるとGFPが働くように遺伝子操作したバクテリアをつくり、井戸水のヒ素汚染状況を調査する例もある。同様の方法で火薬の主成分であるトリニトロトルエン、カドミウムや亜鉛などの重金属を検知でき、暗闇で緑色に光る"GFPおもちゃ"も売られるなど、応用範囲は実に広い。
 下村氏が発見した、オワンクラゲのGFPは、最初はその利用価値は認知されていなかった。しかし同時受賞のマーティン・チャルフィー氏が、GFP遺伝子を別の遺伝子と連動させることで、生体内でいつ、どの遺伝子が働いているかを把握する標識に使えることを示した。さらにロジャー・チェン氏が同時に観察できるタンパク質の数を増やし、生体内の動きを虹のように見せる技術を開発。現在の幅広い活用につなげた。




古巣の研究所に普段着で 会見に臨んだ下村さん (3)
 
 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月9日】

【ウッズホール(米マサチューセッツ州)8日共同】

 ノーベル化学賞受賞が決まった下村脩(しもむら・おさむ)さんは8日(日本時間9日未明)、研究人生のほとんどを過ごした古巣のウッズホール海洋生物学研究所の記者会見に、黄色のワイシャツと茶色のセーターという普段着で姿を見せた。
 下村さんは「とてもうれしい。ストックホルムから受賞決定の電話が午前5時にあった時は、ぐっすり眠っていた。ただただ驚いた。タンパク質の研究なので、医学生理学賞のうわさがあったが、化学賞がもらえるとは思っていなかった」と、少し眠たげな表情ながら、興奮した様子で喜びを語った。
 今年のノーベル賞に決まった科学者が自分で4人目となったことについて「極めて珍しいことだが、日本にとっては非常に素晴らしい」と感慨深げ。
 英語と日本語で一語一語言葉を選ぶように、記者の質問に丁寧に答える下村さんだったが、「なぜ、クラゲはそのタンパク質をつくるのか」という質問には「分からない。クラゲに聞いてほしい」と応じ、会場の大きな笑いを誘った。




地味な研究分野に「光」 識者談話 (4)
 
 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月9日】

 辻章夫(つじ・あきお)昭和大名誉教授(化学発光学)の話 生物発光という地味な研究分野にまさに「光」が当たり、実にうれしい。今のような実験機器がない時代に、クラゲからタンパク質を丹念に分離するという難しい作業を成し遂げた。薬が体内でどう効くか、DNAがどのようにつながっているかなど、創薬や医学など幅広い分野の研究に大いに役立った。それまではアイソトープを使っており、扱いが難しかった。静かでやさしい方で、米国の自宅を訪れた時も温かく迎えてくれた。日本でのシンポジウムに招くと律義に参加してくれ、後輩の指導にも熱心な方だ。




授賞理由 (5)
 
 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月9日】

 下村脩(しもむら・おさむ)氏ら3氏の授賞理由の要旨は次の通り。
 下村氏は、北米西海岸の海流に乗って漂うクラゲから、初めて緑色蛍光タンパク質(GFP)を発見。このタンパク質が紫外線を当てると緑に輝くことを発見した。緑に光るメカニズムの解明にも大きく貢献した。
 マーティン・チャルフィー氏は、生物学的現象を調べる上でのGFPの発光標識としての価値を実証した。初期の実験では、透明な線虫の6つの細胞を着色することに成功した。
 ロジャー・チェン氏は、GFPの蛍光発光メカニズムの全般的な理解に貢献。緑以外の色でも細胞を光らせることを可能にした。

※米研究者2人の略歴 

 マーティン・チャルフィー氏 1947年生まれ。77年に米ハーバード大で博士号を取得。82年から米コロンビア大教授。

 ロジャー・チェン氏 52年、米国生まれ。77年、英ケンブリッジ大で博士号を取得。89年から米カリフォルニア大サンディエゴ校教授。2004年に慶応医学賞を受賞。



研究の「原点」は長崎 化学賞受賞の下村氏 (6)
 
 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月9日】

【ウッズホール(米マサチューセッツ州)8日共同=小林義久】

 今年のノーベル化学賞の受賞が決まった下村脩(しもむら・おさむ)さん(80)は8日、米・ウッズホール海洋生物学研究所で共同通信などのインタビューに応じ、旧制中学卒業後に入った長崎医科大(当時)こそが「化学研究の原点」であり、同学校で学んだことが化学の道に進むことを決定付けたと述べた。
 長崎では原爆も体験。「(原爆は)人生観を変えた」と振り返る。
 当時の家は、爆心地から約12キロ。「毎日、死者が長崎市内から運ばれてくる。哀れなものでした」
 研究については「アマチュア性と、固定観念にとらわれないことが大切」と強調。「といっても基礎知識は十分に持っていなければいけない。その上で自分の考えを持ち、研究を進めるべきだ」
 本当は薬学や化学に興味はなかったという下村さん。「飛行機や船舶の設計がしたかった。しかし当時は若い人に好きなことをやる自由はなかった」と打ち明ける。
 受賞決定後の慌ただしさもあって明美(あけみ)夫人(72)とは「まだきちんと話していない。でも、喜んでくれるでしょう」。夫人は子育てが一段落した1972年ごろから研究室の助手として活躍した。授賞式には夫人と出席する予定。スピーチの内容など「まだとんでもない」。賞金についても「いくらかも知らないほどです」と述べた。


 
「大先輩の受賞喜びたい」 祝福ムードの母校、長崎大 (7)
 

 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月9日】

 下村脩(しもむら・おさむ)・米ボストン大名誉教授のノーベル化学賞受賞決定から一夜明けた9日、母校の長崎大薬学部では同じ研究分野の後輩の中島憲一郎(なかしま・けんいちろう)教授が講義で「研究室の大先輩の受賞。一緒に喜びを分かち合いたい」と話して、下村氏の業績を紹介するなど祝福ムードに包まれた。同大では校舎に祝賀の横断幕を掲げるなどして偉業をたたえる予定。
 中島教授は「下村先生が発見した緑色蛍光タンパク質(GFP)を基に多くの研究がなされ、評価されている」と紹介。昨年10月に下村氏が長崎大で講演し「田舎にいても研究ができる」と話したことに触れ「先生は君たち若い力が薬学分野を進めていくとおっしゃっていました」と呼び掛けた。
 薬学部3年生の清水祥乃(しみず・さちの)さん(20)は「実験でよく使っている蛍光物質がOBの発見と昨日初めて知りました。自分の大学からノーベル賞受賞者が出るなんて自慢です」と誇らしげだった。
 

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2008/10/9 「光るたんぱく質」解明、想定外の応用がノーベル賞に asahi.comより転載

「光るたんぱく質」解明、想定外の応用がノーベル賞に



2008年10月9日2時21分 朝日新聞

 生命の営みは、細胞の中のたんぱく質の働きを調べることでわかる。だが、顕微鏡でのぞいても、そのままではわからない。そこで、蛍光を出すGFPをくっつけて光らせることで、その振る舞いが調べられる。
 GFPは、細胞が生きた状態で、特定の分子が細胞のどこに分布しているのかを示す。今では、ほかの技術と組み合わせ、分子同士の相互作用をリアルタイムでみられるようにもなった。
 下村さんは当初、このような応用を想定していたわけではない。生物発光の仕組みを解明したいという純粋な好奇心から研究を続けてきた。GFPを研究の道具として利用する道筋は、ほかの研究者が見つけた。
 科学の歴史を振り返ると、当初の目的とは違う展開になることはしばしばある。ノーベル化学賞を受賞した白川英樹さんも、最初から導電性プラスチックの発明を狙っていたわけではなく、分子が結合する仕組みの解明が目的だった。その途中で、偶然見つかった物質が、不思議な性質をもっていたことから、研究を発展させ、ノーベル賞につながった。

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2008/10/9 流しに捨てたらクラゲ光った 下村さん、発見までの格闘 asahi.comより転載

流しに捨てたらクラゲ光った 下村さん、発見までの格闘
 
 
 
2008年10月9日3時0分 朝日新聞

写真
実験用にクラゲを切る機械=宮脇敦史さん提供
 
写真
米ウッズホール海洋生物学研究所時代の下村脩さん=同研究所提供
 
 下村さんは60年、氷川丸の最後の航海で太平洋を横断。フルブライト留学生として米国にわたった。
 米プリンストン大のフランク・ジョンソン教授のもとで研究生となった。与えられた課題は、オワンクラゲの発光物質の抽出だった。その日から直径10センチほどのオワンクラゲとの格闘が始まった。場所は、西海岸ワシントン州のフライデーハーバー。大量に発生するので海の上を歩けるとさえいわれるほどだった。一方、子どもが採ってくると、1匹1セントで買い取ることもあった。
 物質を抽出するためには、一時的に発光を止める方法を見つけないといけないが、それが見つからず、景色のよい海岸にすわったり、ボートに乗ったりして、1週間ほど考える日が続いたという。
 あるとき、クラゲを絞った液を少しずつ酸性にしたらどうかとひらめいた。早速、実験室に戻って試した。少し酸性にすると発光が止まった。これを流しに捨てるとまた光る。流しに残っていた何かに反応したに違いない。こうして海水に含まれるカルシウムイオンが、発光に必要だとこの時、突き止めた。
 数カ月後、この時の発光物質だけを純粋に分離することに成功し、イクオリンと名づけた。このイクオリンが出す青い光を受けて緑色に光って見えるのがGFPだった。
 
     ◇
 
 下村さんは、京都に生まれ、51年に長崎薬専を卒業。就職できずに大学で手伝いをしていた55年、名古屋大に国内留学をすることになった。このとき、あいさつにいった故平田義正名誉教授(天然物有機化学)の研究室に入ることになった。
 下村さんが「一番の恩師」と語るのが平田さんだ。そこで言い渡された研究テーマは、ウミホタルの発光物質ルシフェリンの精製だった。下村さんは、偶然、濃塩酸を使うと結晶化することを見付け、57年に、結晶をつくった。米国などの研究者が20年以上も努力していたにもかかわらず、下村さんは見事に実現。その手腕が買われて米国にわたったことが、大きな研究成果につながった。
 

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2008/10/9 同時にノーベル化学賞受賞の2氏 asahi.comより転載

同時にノーベル化学賞受賞の2氏
 
 
 
2008年10月8日23時56分 朝日新聞

写真
ロジャー・チェン氏
 
写真
マーティン・チャルフィー氏
 
 ロジャー・チェン氏 52年米国生まれ。77年英ケンブリッジ大で博士号取得。89年から米カリフォルニア大サンディエゴ校教授。
 
 マーティン・チャルフィー氏 47年生まれ。77年米ハーバード大で博士号取得。82年から米コロンビア大教授。
 

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2008/10/9 ノーベル化学賞に下村脩さん 蛍光たんぱく質を発見 asahi.comより転載

ノーベル化学賞に下村脩さん 蛍光たんぱく質を発見
 
 
 
2008年10月8日23時19分 朝日新聞

写真
8日、米マサチューセッツ州の自宅でノーベル化学賞受賞の連絡を受けた後、電話で喜びを語る下村脩さん=AP
 
写真
オワンクラゲが出す緑の光=下村脩さん提供
 
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ノーベル化学賞の授賞理由になった緑色蛍光たんぱく質(GFP)。試験管のなかで光っている。名古屋大理学研究科の近藤孝男教授が紫外線をあてて見やすくし、報道陣に説明した=8日午後8時9分、名古屋大学、加藤丈朗撮影
 
 スウェーデンの王立科学アカデミーは8日、今年のノーベル化学賞を米ウッズホール海洋生物学研究所・元上席研究員の下村脩(おさむ)さん(80)と米国の研究者2氏の計3人に贈ると発表した。下村さんは、オワンクラゲの発光の仕組みを解明する過程で、緑色蛍光たんぱく質(GFP)を分離し、その構造を解明した。GFPは、生命科学の研究で、細胞内で動く分子にくっつけて追跡する便利な「道具」として世界中の研究者に使われている。
 日本人のノーベル賞受賞は7日発表の物理学賞の3人に続き16人目。2日連続の快挙となった。化学賞は02年の田中耕一・島津製作所フェローに続き5人目。授賞式は、12月10日にストックホルムである。賞金1千万スウェーデンクローナ(約1億4千万円)は下村さんと共同受賞者の3人で均等に分ける。
 たんぱく分子は大きさがわずか10ナノメートル(ナノは10億分の1)程度と小さく、そのままでは光学顕微鏡で観察できない。そこで、特定のたんぱく分子にGFPをつけると、目印の電球のように光って見えるので、観察が可能になる。
 下村さんは、発光する生物から発光物質を取り出し、その仕組みを研究してきた。1962年、オワンクラゲから、発光物質としてイクオリンというたんぱく質とGFPを取り出して発表した。70年代に、イクオリンがカルシウムと結合することで青く光り、そのエネルギーを使ってGFPが緑に光って見えることを解明した。採ったオワンクラゲは85万匹にのぼる。
 90年代になり、米国の研究者によってGFPをつくる遺伝子がわかり、ほかのたんぱく質とくっつけて細胞に組み込む方法が開発された。
GFPはいまや学生からプロの研究者まで医学や生物学の実験で欠かせない道具となっている。たとえば、がんの転移を調べる動物実験で、あらかじめがん細胞にGFPを組み込んでおくと、転移先で蛍光色に光る。アルツハイマー病で神経細胞がどのように壊れていくのかや、インスリンを分泌する細胞が膵臓(すいぞう)でどのようにつくられるか、などの解明にも使われている。下村さんは、そのような応用は「当時まったく想定していなかった」と言う。
 共同受賞者は米コロンビア大のマーティン・チャルフィー教授と米カリフォルニア大サンディエゴ校のロジャー・チェン教授。チャルフィー教授はGFPを実際に細胞内に入れ、光らせることに成功した。チェン教授は緑以外の色にも光るようにするなど、手法を発展させた。
 
     ◇
 
〈下村脩さんの略歴〉
 
1928年 京都府生まれ
  51年 長崎医科大付属薬学専門部卒業
  55年 名古屋大学理学部有機化学研究生
  60年 米プリンストン大学研究員
  63年 名古屋大助教授
  65年 米プリンストン大上席研究員
  81年 米ボストン大客員教授
  82年 米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員
  01年 自宅に研究室をつくり、研究を続ける
  07年 朝日賞
 

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2008/10/9 3氏の著書、増刷へ 小林氏の本は「絶版」から復活 asahi.comより転載

3氏の著書、増刷へ 小林氏の本は「絶版」から復活
 
 
 
2008年10月8日11時31分 朝日新聞

写真
急きょ重版が決まった小林誠さんの「消えた反物質」(左)、益川敏英さんの「現代の物質観とアインシュタインの夢」(右)。いまだに人気の南部陽一郎さんの「クォーク」(中央)
 
 ノーベル物理学賞を受けた小林誠さんの著書が、再び書店に並ぶことになった。事実上、絶版状態だったが、出版元の講談社が増刷を決定。益川敏英さんと南部陽一郎さんの著書も増刷が決まった。
 小林さんの著書は、97年に同社の一般向け科学新書「ブルーバックス」から出版された「消えた反物質」。編集を担当した堀越俊一さん(46)によると、小林さんは「一般書の執筆は初めての経験」と話していたという。
 「CP対称性の破れ」を扱った難解な内容にもかかわらず2万部を売り上げた。しかし、その後は「重版未定」で、事実上、絶版状態にあった。
 だが、ノーベル賞受賞で状況は一変。現在、ブルーバックス出版部長となった堀越さんは「この本を再び世に問えるまたとない機会」として、1万部の増刷を決めた。講談社には、8日朝から「ノーベル賞フェアをやりたい」という書店からの問い合わせが30件近く殺到している。
 同じブルーバックスには、南部さんの著書「クォーク」もある。講談社の編集者だった柳田和哉さん(61)は78年「子どもの頃から興味のあった素粒子の話をぜひ書いてもらいたい」と、国際会議で来日していた南部さんに直訴。事前の約束はなかったが、南部さんはその場で快諾し、81年に出版にこぎつけた。
 トップクォークの発見が報じられた90年代半ば、柳田さんが「役者がそろい、改訂のタイミングですね」と手紙を送ると、南部さんは即座にリライトし、98年に改訂版が出た。
 「クォーク」は27年間で計11万部以上売れ、科学書の隠れたベストセラーになっている。今回の受賞で、さらに2万部が増刷されるという。2冊とも「金の帯」をつけて配本される予定。
 また、岩波書店と丸善から出版されている益川さんの素粒子論の入門書も増刷が決まった。
 

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2008/10/9 湯川氏の遺産結実、混迷期に理論再構築 小林・益川両氏 asahi.comより転載

湯川氏の遺産結実、混迷期に理論再構築 小林・益川両氏
 
 
2008年10月8日8時0分 朝日新聞
 
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67年ごろに撮影された益川敏英さん(左から2人目)と湯川秀樹さん(右端)。左端が益川さんの恩師の坂田昌一さん=名古屋大学理学部提供

 頭脳のほかに「紙と鉛筆」があればできるといわれる素粒子理論の研究は、これまでも湯川秀樹博士と朝永振一郎博士という2人のノーベル賞受賞者を生んだ日本の「お家芸」だ。小林誠さん(64)と益川敏英さん(68)の「小林・益川理論」は、この伝統の上にたった鋭い直感と深い洞察が結実したものだった。
 原子核は陽子と中性子でできているが、1932年に中性子の存在が確認された後、実験で新たな粒子が続々と見つかった。湯川博士が存在を予言した中間子の仲間も、相次いで発見された。
 2人が研究者の道に足を踏み入れたのは、新粒子が見つかりすぎて、理論が混迷状態にあった60年代だった。
 米国のマレー・ゲルマン博士らは64年、「クォーク」という基本粒子を提唱。陽子や中性子、中間子などの粒子はすべて、クォークの組み合わせでできていると考えた。世界中の研究者がこの「仮説」をもとに、理論の再構築に挑んだ。
 こうした流れを受けて、2人が思いついたのは、素粒子の世界で起きる「対称性の破れ」を説明するためにはクォークが最低6種類は必要、という考えだった。ともに京都大理学部助手だった72年夏だった。
 その後、日本の素粒子研究は、理論に加え、実験による実証研究でも力をつけていった。
 小林・益川理論を裏付けたのは、米国のグループと、茨城県つくば市の高エネルギー加速器研究機構(KEK)だった。
 そのKEKでは、7日午後7時40分ごろから記者会見が開かれた。鈴木厚人機構長や高崎史彦理事らが笑顔で握手を交わした。
 鈴木機構長は「興奮する以上に喜ばしい」。3人同時の受賞は予想していなかったという。「小林さん、益川さんの理論は、当初は(数ある)理論の一つだったが、実験結果が出るにつれて重みが増し、日本の実験結果がだめ押しとなってゆるぎないものになった」と話した。

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2008/10/9 「対称性の破れ」鮮やかに説明 受賞3人の業績 asahi.comより転載

「対称性の破れ」鮮やかに説明 受賞3人の業績
 
 
 
2008年10月8日7時5分 朝日新聞
 
 小林さんと益川さんが説明した「CP対称性の破れ」は、物質を形づくる「粒子」と、性質がさかさまの「反粒子」が、本来は対等であるはずなのに、崩壊のしかたが厳密には対等でなくなる現象を指している。64年に、米国の実験で「破れ」が発見されていたが、うまく説明する理論がなかなか現れなかった。
 CP対称性のCは電荷(チャージ)、Pは偶奇性(パリティー)を表す。偶奇性とは空間が示す対称性のひとつで、物理現象を鏡に映した状態にひっくり返すこと。これらをひっくり返しても性質が変わらないことをCP対称性があるとする。しかし実際にはCP対称性は破れている。
 小林・益川理論では、CP対称性が破れるためには、それまでは4種類と考えられていたクォークを6種類にする、という枠組みを導入した。クォークは実際には少しずつ別の種類と混ざり合って存在している。種類を増やすことで、対称性の「破れ」を鮮やかに導き出してみせた。
 当時、クォークの想定は4種類で、しかも3種類しか確認されていなかった。単独の粒子として取り出せないこともあって、存在自体を疑問視する専門家さえいた。
 小林さんと益川さんの理論の正しさは、01年までに米国の研究グループと、日本の高エネルギー加速器研究機構の実験によって確認された。
 

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2008/10/9 3人が受賞した研究・素粒子物理とは asahi.comより転載

3人が受賞した研究・素粒子物理とは
 
 
 
2008年10月8日3時2分 朝日新聞

図
物質とクォーク
 
 私たちの身の回りのあらゆる物質を構成している最小要素は何なのか。
 18世紀から19世紀にかけては、水素や炭素、酸素といった元素・原子が根源と考えられていた。しかし、この考え方が確立した後も、究極の素粒子を追い求める動きは絶えなかった。
 19世紀末から20世紀前半にかけて、原子には中心にほとんどすべての質量を占める原子核があり、周囲にはマイナスの電気を帯びた電子が回っていることがわかってきた。
 さらに、原子核はプラスの電気を帯びた陽子と電気を帯びていない中性子からできていることが判明した。
 20世紀後半に入って実験技術が進歩すると、陽子や中性子、電子の仲間と見られる微粒子が100種類以上も見つかり、素粒子の概念も変更を余儀なくされた。
 現在では、陽子や中性子はクォークと呼ばれる基本粒子が合わさってできた複合粒子で、クォークは6種類あることがわかっている。
 素粒子物理学は、宇宙の起源を解明する宇宙物理学の基礎にもなっている。クォークや電子といった基本粒子は約140億年前、宇宙誕生の際の大爆発(ビッグバン)による大きなエネルギーが生み出したと考えられている。
 究極の素粒子の本質を探る研究は、いまなお続く。物質がなぜ質量をもつのかを説明する理論も、実験で証明されたわけではない。
 今年9月に始動した欧州合同原子核研究機関(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)が、こうした謎に迫ると期待されている。
 

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2008/10/9 物理学の予言者、半世紀前にアイディア提唱 南部氏 asahi.comより転載

物理学の予言者、半世紀前にアイディア提唱 南部氏
 
 
 
2008年10月8日3時2分 朝日新聞

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渡米直後の南部陽一郎さん(前列右)。後列左端は02年にノーベル物理学賞を受けた小柴昌俊さん、その隣は65年に故・朝永振一郎博士らと物理学賞を受賞した故・リチャード・ファインマン博士=1953年ごろ、ニューヨーク州ロチェスター
 
「対称性の自発的破れ」の概念図
 
 米シカゴ大学の南部陽一郎・名誉教授(87)は「物理学の予言者」と呼ばれる。
 70年代後半、シカゴ大で師事した江口徹・京都大基礎物理学研究所長は「だれかが言い出す4、5年前に言い出しっぺになる。とても難解で、すぐには注目されないが、そのうち真価がわかってきて、広まる。流れが来る前に見通す能力は世界一だ」という。
 南部さんは常々、「素粒子にはなぜ質量があるのか。生涯の研究テーマです」と語っていた。この「質量の起源」を解き明かすため、50年近く前に「対称性の自発的破れ」というアイデアを提唱した。
 このアイデアは素粒子理論の世界にとどまらず、超伝導や磁石などの物理にも大きな影響を及ぼした。
 質量の起源を探る壮大な実験も、この9月から、ジュネーブにある欧州合同原子核研究機関(CERN)の新しい加速器LHCで始まった。
 「対称性の自発的破れ」とは、たとえば底が盛り上がったワインの瓶は上から見ると左右対称なのに、そこに小さな玉を入れると、玉は瓶底の中央ではなく、へりに近いくぼみに落ち込むようなものだ。瓶そのものは左右対称でも、玉まで含めた場合は「対称性」が失われている。
 日常感覚では、このような現象は当たり前で、人間の心臓が常に左側にあるように、左右の対称性がそもそも失われている。だが、素粒子はすべての物質の最も基本となる構成要素だ。どこから見ても同じであるべきで、どんな状況でも「対称性」が成り立っていると信じられてきた。
 しかし、南部さんは「素粒子の世界でも対称性が自然に破綻(はたん)するケースがありうる」と考えた。破綻するのは、対称性が失われた方がエネルギー的に安定する場合だ。一見、常識破りのこの考え方が、「質量の起源」を解き明かす研究の端緒となった。
素粒子の崩壊にかかわる「ゲージ粒子」は、物理法則から導かれる質量はゼロ。なのに、現実には、陽子の100倍近い重さがある。こうした理論と現実とのギャップを埋める役割を、南部さんのアイデアが担った。
 いまの素粒子理論では、対称性が失われると、質量がゼロの粒子でも質量をもったかのように振る舞えると考えられている。また、電気抵抗がゼロになる超伝導のような性質も、対称性が破れたために生まれると説明されている。
 南部さんは65年には、物質を形づくっている基本粒子「クォーク」に三つの異なった状態(色)があるとする理論を提唱。3個のクォークが強く結びついて1個の陽子や中性子になる理由を説明する「量子色力学」という新たな研究分野を切り開いた。クォークはその前年に「仮説」として登場したばかりだった。
 70年には、クォークを「粒」ではなく「ひも」と考えるアイデアを発表した。これは、現在確立している「標準理論」を超え、より統一的に物質や力の根源を説明する究極の理論「超弦理論」の先駆けとなった。
 

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2008/10/9 湯船でひらめいた世紀の理論 ノーベル賞益川・小林両氏 asahi.comより転載

湯船でひらめいた世紀の理論 ノーベル賞益川・小林両氏
 
 
 
2008年10月8日3時2分 朝日新聞

 小林さんと益川さんの2人は名古屋大理学部で物理学を学んだ。大学院では同じ坂田昌一博士の研究室に進んだ。坂田博士は湯川、朝永両博士と並び立つ日本の素粒子理論の「巨人」として知られる。
 小林さん、益川さんはその後、京都大理学部で再会した。「また一緒に仕事をしましょう」。そう声を掛け合って、「対称性の破れ」という不思議な現象に取り組んだ。
 研究室で議論し、自宅に帰って、また考える。益川さんが新しいアイデアを思いついて、小林さんに告げると「実験結果と合いません」と翌日には否定される。そんな苦難の日々が続いた。
 益川さんは当初、当時発見されていた三つのクォークを一つだけ増やし、四つのクォークを使うことで「対称性の破れ」をどうにか説明しようと試みていた。だが、うまくいかない。
 益川さんによると、六つのクォークモデルを思いついたのは、風呂に入っていた時のことだった。湯につかりながら、四つのクォークをあきらめようと思いたったその瞬間、六つにすればうまくいくとひらめいた。
 「計算も何も必要なかった。その瞬間、自明であることが確信できた」。湯船から出た時には、小林・益川理論の骨格はもうできあがっていた。益川さんが論文を日本語で書き、小林さんが英語論文に仕上げた。論文は翌73年、湯川博士の提案で発刊した日本の英文専門誌「プログレス・オブ・セオレティカル・フィジクス」2月号に発表された。
 

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2008/10/9 ノーベル物理学賞、素粒子研究の日本人3氏に asahi.comより転載

ノーベル物理学賞、素粒子研究の日本人3氏に
 
 
 
2008年10月7日23時24分 朝日新聞
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ノーベル物理学賞受賞を喜ぶ南部陽一郎さん=7日午前7時34分、米イリノイ州シカゴ、勝田敏彦撮影
 
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ノーベル物理学賞受賞の喜びを語る高エネルギー加速器研究機構名誉教授の小林誠さん=7日午後8時4分、東京都千代田区、小林正明撮影
 
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ノーベル物理学賞の受賞が決まり、会見する京都産業大の益川敏英教授=7日午後7時19分、京都市北区、山本裕之撮影
 
日本人のノーベル賞受賞者
 
物理学、化学、医学生理学各賞の国別受賞者数
 
 スウェーデン王立科学アカデミーは7日、今年のノーベル物理学賞を、素粒子物理学の理論づくりに貢献した米シカゴ大名誉教授で大阪市立大名誉教授の南部陽一郎氏(87)と、新たな基本粒子の存在を共同で提唱した高エネルギー加速器研究機構(茨城県つくば市)名誉教授の小林誠氏(64)と京都大名誉教授で京都産業大理学部教授の益川敏英氏(68)の日本人計3人に贈ると発表した。日本人が一つの賞で同時受賞するのは初めて。
 日本人のノーベル賞受賞は02年以来で13、14、15人目。物理学賞は同年の小柴昌俊・東京大特別栄誉教授に続き、5、6、7人目。
 賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億4千万円)で、南部氏に半分を、小林、益川両氏に4分の1ずつをそれぞれ贈る。授賞式は12月10日、ストックホルムである。
 宇宙やわれわれは、いったい何からできているのか。人類はこの根源的な謎に、長年挑み続けてきた。3氏はあらゆる物質を形づくる基本粒子の研究で先駆的な理論を提唱し、現代の素粒子物理学の基礎を築いた。
 南部氏の授賞理由は「対称性の自発的破れのしくみの発見」。物質をつくる素粒子になぜ質量があるのかという宇宙の成り立ちにかかわる根源的な謎を、素粒子の対称性が失われてしまうという現象から解き明かす考え方を61年に提唱した。その後の素粒子物理学の発展に大きな影響を与えた。
 素粒子の質量を探る研究のほか、自然界に存在する力を統一的に論じるという現在の研究は、南部氏の理論を土台に発展してきた。素粒子研究の中で、南部氏はこれ以外にも、次々と斬新な考えを打ち出した。
 小林氏と益川氏の授賞理由は、宇宙の成り立ちにかかわる「CP対称性の破れ」という現象が起きる理由を、73年に理論的に説明したことだ。両氏は、この不思議な現象を説明するためには、物質をつくる基本粒子「クォーク」が自然界に少なくとも6種類必要だと予言した。
 この予言は、各種の実験でその正しさが確かめられ、いまの素粒子物理学の基礎である「標準理論」の柱に発展した。
 

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2008/10/9 「本当に光栄/言葉出ず/立証こそ重要」ノーベル賞3氏 asahi.comより転載

「本当に光栄/言葉出ず/立証こそ重要」ノーベル賞3氏
 
 
 
2008年10月7日21時12分 朝日新聞
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ノーベル物理学賞を受賞し記者会見に臨む小林誠さん=7日午後8時7分、東京都千代田区、越田省吾撮影
 
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ノーベル物理学賞の受賞が決まり、会見する京都産業大の益川敏英教授=7日午後7時20分、京都市北区、山本裕之撮影
 
 〈南部陽一郎さんの話〉スウェーデンからの電話で知った。本当に光栄に思います。しかも、小林さん、益川さんと同時なのは非常にうれしい。この2人もいずれは取るに値すると思っていた。少し遅かったかもしれない。毎年のように記者が取材に来ているが、今年も特に期待していたわけではない。
 
     ◇
 
 〈小林誠さんの話〉何を言ったらいいのか、突然の事で大変驚いています。ノーベル財団からの電話に、まったく予想していなかったので、ちゃんとした言葉が出なかった。突然、昔の仕事で賞をいただき奇妙な感覚です。大先輩の南部さんと同時に受賞でき、大変うれしく思っています。
 
     ◇
 
 〈益川敏英さんの話〉大変、尊敬している南部先生の受賞が実現したのが、日本人として、一番うれしいです。(自身の受賞については)たいして、うれしくありません。02、03年の実験で、我々が言った理論が正しいと分かり、科学者としてみれば、それが一番重要でした。後のことは、社会的なお祭りのようなものでした。
 

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2008/10/9 ノーベル賞、南部・小林・益川3氏の略歴 asahi.comより転載

ノーベル賞、南部・小林・益川3氏の略歴
 
 
 
2008年10月7日20時36分 朝日新聞
 
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文化勲章を受けた当時の南部陽一郎さん(左端)=1978年11月、東京都内
 
名古屋大大学院時代の小林誠さんと益川敏英さん=名古屋大学理学部提供
 
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朝日賞受賞決定時の小林誠さん(右)と益川敏英さん=94年12月11日、朝日新聞東京本社、堀英治撮影
 
〈南部陽一郎さんの略歴〉
1921年 東京生まれ
  23年 関東大震災後、父の郷里の福井市へ
  37年 旧制福井中学(現・福井県立藤島高校)卒業、旧制第一高等学校入学
  42年 東京帝国大理学部物理学科卒業
  49年 大阪市立大理工学部助教授
  50年 同教授
  52年 米プリンストン高等研究所に招かれて渡米
  58年 米シカゴ大教授
  78年 文化勲章
  85年 マックス・プランク・メダル(ドイツ)
  86年 ディラック・メダル(イタリア)
  95年 ウルフ賞(イスラエル)
2005年 ベンジャミン・フランクリン・メダル(米)
 
     ◇
 
〈小林誠さんの略歴〉
1944年 名古屋市生まれ
  67年 名古屋大理学部卒
  72年 名古屋大大学院博士課程修了、京都大理学部助手
  79年 高エネルギー物理学研究所助教授、仁科記念賞
  85年 同教授
      日本学士院賞、米国物理学会J・J・サクライ賞
  95年 朝日賞
  97年 高エネルギー加速器研究機構(KEK)素粒子原子核研究所教授
2001年 文化功労者
  03年 KEK素粒子原子核研究所長
  06年 KEK名誉教授
  07年 日本学術振興会理事
      欧州物理学会高エネルギー・素粒子物理学賞
 
     ◇
 
〈益川敏英さんの略歴〉
1940年 名古屋市生まれ
  62年 名古屋大理学部卒
  67年 名古屋大大学院博士課程修了、同大理学部助手
  70年 京都大理学部助手
  76年 東京大原子核研究所助教授
  79年 仁科記念賞
  80年 京都大基礎物理学研究所教授
  85年 日本学士院賞、米国物理学会J・J・サクライ賞
  90年 京都大理学部教授
  95年 朝日賞
  97年 同大基礎物理学研究所長
2001年 文化功労者
  03年 京都産業大教授
  07年 欧州物理学会高エネルギー・素粒子物理学賞

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2008/10/7 医学生理学賞に仏独の3氏 エイズウイルス発見などで 治療、ワクチンに道 【1】 他 m3.comより転載

医学生理学賞に仏独の3氏 エイズウイルス発見などで 治療、ワクチンに道 【1】
 
 

記事:共同通信社
提供:共同通信社

【2008年10月7日】

【ストックホルム6日共同】

 スウェーデンのカロリンスカ研究所は6日、2008年のノーベル医学生理学賞を、エイズウイルスを発見した世界エイズ研究予防財団のリュック・モンタニエ理事長(76)、パスツール研究所のフランソワーズ・バレシヌシ教授(61)の2人=いずれもフランス=と、子宮頸(けい)がんを引き起こすヒトパピローマウイルスを発見したドイツがん研究センターのハラルド・ツア・ハウゼン名誉教授(72)=ドイツ=に授与すると発表した。
 授賞式は12月10日にストックホルムで開かれ、賞金1000万クローナ(約1億4000万円)の2分の1をハウゼン氏、残りをモンタニエ氏とバレシヌシ氏で等分する。
 いずれの発見も、その後の治療やワクチン開発に道を開いたことが評価された。
 2007年末のエイズ感染者は、約3300万人。モンタニエ氏らは、1984年までに患者からエイズウイルスを分離、発見した。感染の仕組みや感染者の診断法の開発などにつながり、世界的な流行を抑えたと評価された。
 一方、子宮頸がんは女性の死因で2番目に多いがん。ハウゼン氏は83年、特定の型のヒトパピローマウイルスが子宮頸がんの原因となることを突き止めた。感染メカニズムの理解や予防ワクチンの開発をもたらしたことが受賞理由となった。

▽エイズウイルス

 エイズウイルス(HIV) レトロウイルスの一種で、エイズの原因となる。感染者の血液や精液などを介し、性的接触などによって感染する。感染後、増殖過程でリンパ球を破壊して免疫機能を低下させ、10年程度の潜伏期間を経て、肺炎や悪性腫瘍(しゅよう)などの症状を引き起こす。ウイルスの増殖を抑える抗ウイルス薬の普及で、感染しても発症は抑えられるようになってきた半面、感染そのものを防ぐのに有効なワクチンの開発は難航している。厚生労働省のエイズ動向委員会によると国内の感染者は約1万人、患者は約4700人。

▽ヒトパピローマウイルス

 ヒトパピローマウイルス(HPV) 100種類以上の型があり、型によって感染部位や引き起こす病気が異なる。性交渉で感染するのは、このうちの30?40種類。ただし、そのすべてががんを引き起こすわけではなく「高リスク型」の約15種類が発がん性を持つ。子宮頸(けい)がんでは特に16型と18型の検出頻度が高く、世界中の子宮頸がんの約70%の原因と考えられている。現在は、これら2つの型などをターゲットにしたワクチンが開発されているが、日本では承認されていない。

 
治療や予防への貢献重視 【2】
 
【解説】

 エイズウイルス(HIV)とヒトパピローマウイルス(HPV)は、いずれも世界で広範に感染が拡大し、エイズとがんという人類を脅かす深刻な病気の原因。発見がその後の研究を推進し、HIVは効果が高い治療薬の開発に、HPVは予防ワクチンの開発につながった影響の大きさが評価された。
 免疫機能が低下し死に至る、謎の病気エイズが最初に報告されたのは1981年。モンタニエ氏らが84年までに原因がHIVと特定したことで、感染や増殖の仕組みの解明が進み、治療薬が相次いで登場。複数の薬を組み合わせる多剤併用療法が受けられる先進国では「死なない病気」とまで言われるようになった。しかし2007年には世界で約200万人が死亡、アフリカを中心とする発展途上国では、依然として事態は深刻だ。
 子宮頸(けい)がんは女性のがんで2番目に多く、特に発展途上国で深刻。HPVの発見により、子宮頸がんの原因の大半が明らかになった。年間約50万人がHPVによって新たに子宮頸がんになるとみられる。原因の70%程度を占めるとされるHPV16型、18型については予防ワクチンも開発され、高い予防効果が報告されている。

 
発見者めぐり激しい論争 HIV、仏米間で 【3】
 
 エイズウイルス(HIV)を誰が最初に見つけたかをめぐっては、ノーベル賞受賞が決まったリュック・モンタニエ氏らフランスのパスツール研究所側と、第一発見者を主張する米国の研究者が、1980年代から90年代にかけて激しい論争を続けた。94年に米国側が、発見者はフランス側と正式に認め、決着している。
 84年に米国立がん研究所のロバート・ギャロ氏は「エイズ患者の血液からウイルスを分離した」と発表。一方フランス側は、このウイルスは83年にモンタニエ氏らが分離し、追試用に送った試料だと主張。
 莫大(ばくだい)なウイルス検査の特許料もからむことから、米、仏両国政府を巻き込んだ大論争になった。
 だがギャロ氏は91年、英科学誌ネイチャーで「分離したと思っていたウイルスは、ウイルス培養器の中でフランスのウイルスが混入したものだった」と過失を認めた。
 AP通信によると、ギャロ氏はモンタニエ氏らとともに受賞できなかったことに「がっかりした」と話した。
 モンタニエ氏とともに受賞が決まったフランソワーズ・バレシヌシ氏は99年、東京地裁で開かれた薬害エイズ事件の公判で、被告の元厚生省課長の弁護側証人として出廷したことがある。

 
世界規模で予防対策進む 国内で若年層の感染増加 【4】

 ヒトパピローマウイルス(HPV)の発見で、子宮頸(けい)がんの予防対策は大きく進歩した。現在は簡単な検査キットやワクチンが開発され「子宮頸がんは世界規模で70%以上減らせる」とまでいわれているが、日本では若い世代の感染率が増加し、死亡率も高まっている。
 HPVは珍しいウイルスではなく、性交経験があれば大部分の人が一度は感染。このうち約90%は免疫力でウイルスが排除されるが、一部の人は感染したままがんになる恐れがある。
 日本では、性交渉の低年齢化に加え、海外に比べ子宮頸がんやHPVの知識の普及が遅れていることも影響し、受診率は約20%と世界平均の約60%に遠く及ばない。国は当面の目標として50%に引き上げることを掲げている。
 ワクチンは現在、世界で2製品が流通し、約100カ国で承認されている。性交渉を経験する前の10代に接種すれば効果が高いとされ、費用を公費負担する国もある。日本でも国が審査を進めており、早期導入を求める声は強い。

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2008/10/7 エイズウイルス発見の2博士らにノーベル医学生理学賞 他 asahi.comより転載

エイズウイルス発見の2博士らにノーベル医学生理学賞
 
 
 
2008年10月6日21時18分 朝日新聞
 
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リュック・モンタニエ氏
 
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ランソワーズ・バレシヌシ氏
 
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ハラルド・ツアハウゼン氏=写真はいずれもノーベル財団提供
 
 スウェーデンのカロリンスカ医科大は6日、今年のノーベル医学生理学賞を、フランスのリュック・モンタニエ博士(76)、フランソワーズ・バレシヌシ博士(61)と、ドイツのハラルド・ツアハウゼン博士(72)の3人に贈ると発表した。モンタニエ博士ら仏の2人はエイズウイルス(HIV)の発見、ツアハウゼン博士は人に子宮頸(けい)がんを引き起こすパピローマウイルスの発見が評価された。
 現代人を苦しめるエイズ、子宮頸がんという二つの大きな病気の治療や予防研究の道が、ウイルスの発見によって切り開かれた。
 賞金は1千万スウェーデンクローナ(約1億5千万円)で、受賞者で分ける。授賞式は12月10日、ストックホルムである。
 モンタニエ、バレシヌシ両博士は83年、性交渉や輸血、母子感染などで感染した免疫不全症の患者からウイルスを分離することに成功した。
 このウイルスは後にエイズの原因ウイルスと判明。「謎の病気」とされていたエイズの診断方法や治療法の開発、感染防止対策につながった。
 ツアハウゼン博士は、83年に子宮頸がんの組織から、がんを起こすタイプのパピローマウイルスを発見した。
 このウイルスは世界で年間50万人の女性が感染するとされる。子宮頸がんの99.7%がこの感染によるものと考えられている。
 パピローマウイルスは、いまでは100種類ものタイプが知られ、このうちの15種類が、がんの発症のリスクを高めるとされる。(竹石涼子)

 
 
 
 
HIV発見者論争に決着 ノーベル賞に仏の2博士
 
 
 
2008年10月6日23時42分 朝日新聞
 エイズウイルス(HIV)を発見したのはフランスか米国か。長年の発見者論争の最終決着をノーベル賞がつけた。
 HIVは83年、仏パスツール研究所のモンタニエ博士らが新種のウイルスとして分離し、LAVと名づけて発表。翌84年、米国立がん研究所のロバート・ギャロ博士らが、独自にウイルスを発見してエイズの原因と特定したと発表した。
 しかし、両者の遺伝子はそっくり。米チームの発見前に仏チームから試料が提供されており、「流用ではないか」という疑惑が持ち上がった。
 特許紛争に発展したため、87年、当時のレーガン米大統領とシラク仏首相の間で、「米仏両者の貢献と権利は同等」ということで一度は政治決着。88年の日本国際賞(予防医学分野)はモンタニエ、ギャロ両博士に贈られた。
 ところが89年、米紙が「第1発見者はモンタニエ博士」と調査報道し、論争が再燃。ギャロ博士は91年に英科学誌ネイチャーで「自分たちが発見したと思っていたのはフランスのウイルスが混入したもの」と敗北を認めた。
 それでも米国にはエイズの原因と特定した功績がある。だが、カロリンスカ医科大は発表資料で、ギャロ博士らが見つけたのは「LAVと著しく似ている」とし、仏チーム単独の業績と判断した。(鍛治信太郎)

Comment(0) | Trackback(0)2008年 ノーベル賞関連

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わが街  京都  ドクター ご紹介 - http://kanja.ds-pharma.jp/health/yotsu/doctor/078/index.htmlから転載
ドクターからのメッセージ
患者さん一人ひとりに合った治療を目指して
近畿京都府京都市
ひろしまクリニック 院長
廣島 芳城 先生
ひろしまクリニックについてはこちら
 腰痛の発生頻度や原因について教えてください。
上半身の重さは体重の約70%といわれています。その重さを支えているのが腰椎です。腰椎には椎体という骨の部分と椎間板という骨と骨の間に入っている部分があります。椎体は機械的な負荷により変形が進行し、また骨粗鬆症の進行とともに脆くなっていきます。椎間板も年齢とともに変性していきます。驚くことにこの変性は10歳の子供たちのすでに9%に起こっていると報告されています。治療を要する腰痛の発生頻度の調査では20歳代以上の年齢層ではほぼ同じくらい(40〜65%)で発生していることが報告されています。このような背景から近年、腰痛はもっとも有訴率が高い疾患になっています。大半の腰痛は数日間で治りますが、臀部痛や下肢痛を伴う腰痛は専門的な治療が必要になる場合も多いので注意しましょう。
 高齢者の下肢痛を伴う腰痛の多くは腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)という病気です。また激しい腰痛の場合、脊椎圧迫骨折のほか、非常にまれですが背骨の感染症(化膿性椎間板炎など)があります。免疫力が低下している方、糖尿病、ステロイドを内服中の方が罹りやすいので、患者さんは診察の時に既往歴や飲んでいる薬剤についても必ず医師に伝えていただきたいと思います。
 腰部脊柱管狭窄症の手術について教えてください。
最近では内視鏡を使った手術も増えてきました。内視鏡手術は患部が明るく拡大されて安全に行えることに加えて小さな傷と手術中の筋肉の損傷が少ない(低侵襲)ため早期に社会復帰できるという利点があります。しかしすべての方に内視鏡手術がよいという訳ではありません。狭窄箇所が多数ある場合などは内視鏡手術では従来の手術と比べて時間が長くなることもあり、心臓や肺などの病気であまり体力がない方などにとっては、総合的に考えて低侵襲とはいえないからです。どのような手術方法がその患者さんにとっていいのか、医師がメリットだけでなくデメリットについても説明しますので納得したうえで選択していただきたいです。
 腰痛の患者さんを診察するにあたってどのようなことを感じていらっしゃいますか?
腰痛の治療には画一的なものはありません。患者さんの病態がまったく同じものがないことは勿論のこと、治療には患者さんの社会的背景や満足度などを考慮することが必要だからです。
 いままで急性腰痛と慢性腰痛の違いはその罹患期間の違いと考えられてきましたが、近年、functional MRIを用いた研究が進み、痛みを感じたとき脳のどの部分が活動しているかわかるようになってきました。様々な研究報告によれば、慢性腰痛は急性腰痛と単に病気の期間の違いではなく、患者さんの心理社会的要因がかかわっている可能性が示されています。事実そうであれば、たとえ外傷で起こった急性腰痛も心理的な要因で慢性期に移行していく可能性があります。そうするとお医者さんと患者さんの関係は大変重要になります。お医者さんが患者さんを励まし、勇気づけ、また、安心感を与えることによって、急性腰痛が慢性に移行することを防ぐことができるかもしれないからです。利害得失の説明や、個人的、社会的背景を考慮した治療方法の提示。そして、患者さんのQOLや満足度の重視。この三つをもって、患者さんの価値観を尊重し、個人個人に合う治療法を提示するというのが、今一番求められていることなのではないかと感じています。





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ドクターからのメッセージ
放っておいて大丈夫?その痛み、そのしびれ
近畿京都市東山区
京都第一赤十字病院整形外科 副部長
大澤 透 先生
京都第一赤十字病院についてはこちら
 立つ、歩く・・・このような生活の基本というべき動作に支障を感じることはありませんか?
生活に影響をおよぼす腰痛疾患として、ぎっくり腰、ヘルニアなどをよく耳にしますが、とくに高齢の方に多い「腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)」という疾患もあります。あまり知られていませんが、加齢現象の1つとして腰骨(腰椎)が変性したために周辺の神経が圧迫され、立つ・歩くなどの負荷に伴って、いわゆる坐骨神経痛と言われるお尻から太腿の後ろ側にかけた痛みや、つっぱり感、しびれなどが起こるものです。長い距離が歩けなくなり、重症の場合は100mでも困難になりますが、しばらく前かがみで休むと再び歩けるようになるという「間欠跛行(かんけつはこう)」も特徴的な症状の一つです。
 年を重ねることで、腰椎の変性が起こる方もあれば起こらない方もあり、変性したからといって必ず症状があらわれるとも限りません。腰部脊柱管狭窄症が進行した場合、もっとも典型的にあらわれる症状は残尿感ひいては失禁などの膀胱直腸障害ですが、このように重症化する方もあれば、慢性的な症状に悩みながら一生付き合っていく方、あるいは急激な痛みのピークを過ぎた後に沈静化する方もあり、全ては人それぞれです。しかし、症状が進行し始めると一気に悪くなり始めるポイントがあり、やがては脱力感や麻痺などが起こります。
 症状のあらわれ方は千差万別ですが、50代以上で思い当たる症状のある方は、適切な治療を受けることで改善する可能性が十分あります。よほど重症化していない限り、治療は血流改善剤や鎮痛剤などの内服薬と、コルセットや運動、牽引などの理学的な施術を併用する保存療法が効を奏します。さらに急性期の痛みにはブロック麻酔を数回行い、それでも患者さんが満足を得られる結果にならなければ手術を検討するというように、治療は段階的に効果を確かめながら進みます。
 手術では、100%とまではいきませんが、痛みの症状を中心に6〜7割の改善は見られます。ただし、一度傷ついた神経の細胞は元に戻らないため、進行していればしているほど残る症状も多く、程度も大きくなります。しかし、手術そのものの危険は少なく、方法も確立されているため、高齢であることを理由に手術を避ける必要はありません。
 現在は、ただ寿命を長くすることよりも、すこやかに過ごせる寿命―「健康寿命」を延ばすことの大切さが言われています。腰部脊柱管狭窄症など腰痛を伴う病気は命にかかわるものではありませんが、その症状によって、立つ・歩くなど生活の基本的な動作をはじめ、仕事や趣味などの活動にも大きな影響がおよびます。好きなことが好きなようにできることは、生活に満足感を得るための大切な要素ですが、腰痛によって動作や活動に制限が生じると、生活の満足感が損なわれる可能性があります。しかしそのとき、症状に合わせて活動の幅をせばめてしまうか、今の生活に合わせられるように症状を改善するかはあなた次第です。従来は50〜60歳の方が多かった腰部脊柱管狭窄症の患者さんですが、最近は70代、80代の方も大勢おられます。とくに高齢の方でも元気な方、元気だからこそ「腰痛を治してもっと動きたい」と思う方が、病院を受診されています。また、日頃から活発に出歩いているからこそ、不調にも早く気付くことができるのでしょう。
 元気に動けるときはどんどん動き、立ったり歩いたりといった基本動作に支障があらわれたとき、あるいは1カ月以上原因の思い当たらない腰痛に悩んでいるときは、自己判断で放置しないでください。足腰の痛み・しびれを起こす病気には血管の病気も含まれます。それを鑑別するためにも、ぜひ整形外科を受診してください。



ドクターからのメッセージ
腰痛のさまざまな対処法をアドバイスします
近畿京都府京都市
京都市立病院 整形外科
田中 真砂史(たなか まさし) 先生
自己診断で治療を始める前に、腰痛の原因を正確に診断することが大切です
最近は鍼治療の研究も進んできたので、まず接骨院や鍼灸治療に行かれる腰痛の患者さんも少なくないようです。患者さんにとっては痛みが取れればよいわけですから、比較的入りやすい窓口に行かれる気持ちはよく分かります。
しかし、これらの治療を長く受けていた後、整形外科に回ってきた患者さんのなかには、がんの転移が腰痛の原因だったケースもあります。腰痛は骨や関節など運動器の障害だけでなく、がんや感染症、内臓疾患や心理面から起こるものなど、さまざまな原因によって起こることを知っておいてください。
私は、西洋医学(整形外科)と東洋医学(鍼治療など)のどちらの窓口から慢性の腰痛の治療に入っても構わないと思っていますが、腰痛の原因を検査しておく必要があります。そこで、一度は整形外科で正確な診断をしておけば、安心して腰痛の治療を続けられるのではないでしょうか。
腰部脊柱管狭窄症の治療法には、さまざまな選択肢があります
腰痛の原因疾患のなかでも、腰部脊柱管狭窄症(ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう)は60〜70歳代によくみられる疾患です。腰部脊柱管狭窄症は、下肢のしびれ感や痛み、間欠性跛行(かんけつせいはこう)(しびれや痛みが出てきて休み休みでないと歩き続けられなくなる状態)が特徴です。いずれも、生活を送るうえでの大きな障害となります。間欠性跛行は閉塞性動脈硬化症(へいそくせいどうみゃくこうかしょう)のような足の血管の動脈硬化でも同じように起こるため、このような患者さんに下肢の動脈硬化の状態を測定することもあります。また、下肢痛は糖尿病による末梢神経障害でも起こります。そこで、見た目は腰部脊柱管狭窄症のような症状であっても、他の原因で起こった症状かどうかを詳しく診断する必要があります。
腰部脊柱管狭窄症を含めて慢性腰痛の約5割は薬物治療で改善し、3〜4割はブロック注射で痛みが取れています。整形外科を受診すると「すぐに手術」と心配される患者さんもいるようですが、保存的な治療から開始し、患者さんと相談して手術の必要な人には手術をお勧めします。
腰部脊柱管狭窄症の治療は、まずは血流を改善するプロスタグランジンE1(PGE1)製剤や筋弛緩薬の内服から始めます。とくに、PGE1製剤は間欠性跛行の改善が期待でき、服用し始めてから2〜3週間で「長く歩けるようになった」など、患者さん自身で効果を実感することができます。胃潰瘍などの副作用を予防するため、消炎鎮痛剤は痛みが強いときだけ服用してもらうようにしています。これらの薬物治療を1か月ほど試し、症状が改善していればこのまま続けるか、内服量を減らしていき、内服を中止する方向へもって行きます。
薬物治療で改善がみられない患者さんには薬物治療に加えて理学療法(牽引や温熱療法など)、神経ブロック(仙骨硬膜外ブロックや神経根ブロック)、あるいはトリガーポイント注射などを行います。
治療法の選択肢は、腰痛の原因によってさまざまです。医師と相談して適切な治療に取り組んでください。


腰痛 ― 予防体操 ―
(10)予防体操まとめ 8ポーズ1日2回理想
2007年9月7日 読売新聞)

 今回は最終回。腰痛予防に効果的と思われる動きを、一連の流れに組み込んだ体操を紹介する。これまで紹介した動きも入っている。時間に余裕のあるときなどに試してほしい。それぞれの動きを各10回行う。
 〈1〉床に寝て、ひざを軽く曲げ、背中で床を押すように、おなかに力を入れる。
 〈2〉続いて、同じ姿勢から腰を浮かせる。頭や肩、足の裏を床につけておくのがポイント。
 〈3〉同じ姿勢で、片ひざを胸に引きつけ、お尻などの筋肉を伸ばす。左右交互に。
 〈4〉両ひざを抱え、ひざに頭を近づけるように体を丸め、背中の筋肉を伸ばす。
 〈5〉もう一度寝ころび、片足ずつ、ひざを伸ばしたまま、できるだけ高く上げる。つま先を上げるようにして、アキレスけんも含め、足の後ろ側全体を伸ばす。
 〈6〉両ひざを曲げて寝ころび、へそをのぞき込むように、両肩を持ち上げる。腹筋に力を入れるのが狙い。
 〈7〉四つんばいになって、足を片方ずつ上げ、まっすぐ伸ばす。お尻の筋肉を鍛えるのが狙い。腰を反らしたり、ひねったりしないよう注意する。
 〈8〉イスに座って、足を開き、上体を前にかがめ、背中の筋肉を伸ばす。
 この一連の体操を、1日2回できれば理想的だ。(埼玉医大整形外科准教授・白土修さん監修)